お久しぶりです
日本に帰ってきてのり弁の美味しさに気づいたぷにたまです。
今回は日本に帰ってきてからこの1ヶ月半の間、ブログを更新せずに何をしていたのか書いていこうと思います。
私自身の最近のまとめ的な感じなので、興味がない人はスルーしてください。
まず帰国してから2週間。
大学に拘束されてました
拘束って言っても、24時間拘束とかじゃないですよ笑
大学のプロジェクトで海外インターンに行ったのが私が初めてということもあり、事後オリエンテーションとか事後指導とか、ミーティングとかでほぼ毎日大学に行ってました。
大学が山の上にあるということもあり、ストレスと登山でやつれてました。
その後は地元である島根に帰り、4月が始まるまで自由気ままに過ごしてました。
この頃にブログ書けんのか!って思われるかもしれないですが、ゆっくり休みたかったんす...
4月7日から大学が始まり3回生としての日々が始まりました。
普通の3回生なら授業がほぼ入っていないので暇してるんですが、半年間休学していた私は4回生になるための単位が38も足りず、ほぼ毎日2〜5限まで授業です。(1コマ90分)
それに加えて、学生対象のプレゼンが何回もあり、そのプレゼンの準備も忙しいんす...
そんなこんなで、この1ヶ月半の間は基本忙しく過ごしていました。
ちなみに今以上に忙しくなっても暇になる予定はないです。予定は未定ですが...
先生最終日
Xin chào!
昨日20歳を迎えたぷにたまです!
20年前は、まさかベトナムで20歳を迎えるとは思っていませんでした笑
ベトナム生活も残り1日となりました。
早いもので2月も最終日。1年の6分の1が終わりましたね。
昨年の9月末からダナンに来て、社長から「ホーチミン行く?」と聞かれ「行きます!」と答えたのが11月末でした。
そして12月中旬からホーチミンへと移り、今日まで無事に過ごすこときました。
この約半年間を振り返ると、ドタバタであっという間でした。
9月1日からインターン開始なのに、ビザの取得が遅れ、気づけば出発は9月下旬。
初授業の日。
仕事内容は日本語教師アシスタントという話が、蓋を開けてみれば日本語教師そのもの。
大学に確認しても知らぬ存ぜぬ。
これがベトナムかと思い腹を決めて教師をする日々。
前日に授業準備をしても授業開始5分前に授業内容の変更をされることもしばしば。
スマホでゲームをする生徒に眠る生徒。
授業中に愛の告白をしてくる生徒。
授業に平気で遅れていく先生。
知らない間に大学の連絡先が変更。
成功した授業よりも失敗した授業の方が多く、先生としての未熟さを痛感させられる日々。
正直、楽しいことよりも辛く苦しいことの方が多く、逃げ出したいと思ったことは1度や2度ではありません。
それでも、必死に日本語を学ぶ生徒たちの姿を見ていると自分も頑張ろうと思えました。
生徒のための先生になろう
という目標を持つこともできました。
他の人がなかなか経験できないようなことを経験させていただき、生徒や先生方、社長や関係者の方々、大学にも感謝しています。
日本に帰国してからはこの経験を活かし、様々なことに挑戦していきます。
予定は未定
この瞬間に楽しいことやりたいことをしよう
この半年間を振り返り、そう思うようになりました。
最後に
日本へ行くことを目標とし、努力をし続ける生徒たちを私は誇りに思います。
彼らの先生であれてよかった。
ベトナムで暮らした感想
Xin chào!
今日は涼しいですね(29°)と同僚に挨拶したら、頭おかしいんじゃないの?と言われたぷにたまです!
実は諸事情で11月から毎月のように帰国していて、ここ数ヶ月は毎月2回は飛行機に乗っています。日本とベトナムの寒暖差で体がバグったようです。
JALのクレジットカードを持っているので、もっと早くべトジェットがJALと提携してくれてたら次の帰国はマイルで帰れたかもしれないのに...(今年か来年提携予定)
日本とベトナム間に就航している航空会社はベトナム航空、ジェットスター・パシフィック、べトジェットの3社です。
ベトナム航空はANAと提携しており、ジェットスター自体はJALと提携していますが、ジェットスター・パシフィックはマイル積算の対象外...
前置きはさておき
今回はベトナムで約半年間暮らしてみた感想を書いていこうと思います。
私は去年の9月25日~12月15日までダナン
12月16日~今日までホーチミンで暮らしてきました。
まず、ダナンでの生活から書いていきます。
ダナンはベトナム中部に位置し、近年はリゾート地として注目を集めています。
私が生活していたのは、ダナン国際空港から車で30分の少し離れた場所です。
そこに学校があり、敷地内に会社が借りている部屋があったのでそこに住んでいました。
割と田舎なので、周りに遊べるようなところは何もありませんでした。
ご飯屋さんは3店舗あり、喫茶店も4店舗ほどありました。
不思議だったのが、床屋が6店舗もあったことです。
ご飯は学校に食堂があるので、朝ごはんと日曜日以外は食堂で食べていました。結構おいしかったです。
平日の昼は授業をし、夜になると授業の準備やレポート作成、生徒の寮に遊びに行ったりしていました。
休日は同じ学校で働いていた日本人の先生(同じ大学で同じインターン中)と遊びに出かけたり、近くの浜辺を散歩したりのんびり過ごしていました。(もともとインドア派なので)
ダナンはシーズンオフということもあり、街全体も比較的のんびりとした感じでした。
次にホーチミンでの生活について書いていこうと思います。
私がホーチミンで住んでいるのは、タン・ソン・ニャット国際空港から車で20分のビンタイン区という場所です。
こちらも、学校の敷地内にある部屋に住んでいます。(例によって会社が契約している部屋なので私は一銭も払っていません笑)
ビンタイン区は都会というわけでもなく、かといって田舎でもない町です。
こちらは食堂がないため、3食自分で用意しないといけません。
しかし、私は朝ごはんを食べると眠くなるので、朝はコーヒーとタバコが朝ごはんです笑
昼食は同僚のベトナム人先生と一緒に食べに出かけます。
ベトナムの料理屋は、観光地でもない限り基本ベトナム語のみです。そして、約半年間もベトナムで暮らしていながら「こんにちは」「さようなら」「おいしい」「ありがとう」「愛している」しか私は話せません。(愛しているは生徒から半ば無理やり教えられました笑)
ベトナム語は母音が30数個あり、全然聞き取れません。ちなみに、私は英語もさっぱり分からず、大学受験も英語を使った入試は全部落ちたくらいです。
話を元に戻します。
夕食は自分で好きなものを買ってきて食べます。
ベトナム語も英語も話せないのに買えるのかよと思うかもしれませんが、コミュニケーションに言葉は必要ありません!(日本語教師が言っていいのか?)
夕食は私が愛してやまない、バインミーというベトナム風サンドイッチや茹でた鶏肉を野菜などと一緒に食べるコムガ、バインセオというライスペーパーに野菜やベトナム風お好み焼きを包む料理をローテーションして食べています。(おいしいので飽きません)
バインセオ
先ほどタバコの話をしたので、飲酒喫煙についてちょっと話そうと思います。
ベトナムでは飲酒喫煙に関する法律がないものの、社会的には18歳から認められています。
なので、現在19歳の私が飲酒喫煙をしてもOKなのです!!
気になるお値段ですが、お酒は缶ビールは70円~、タバコは銘柄にもよりますが私が吸っているマルボロのブラックメンソールは200円です。(ベトナムは定価がないのでお店によって値段が変わります)
ちなみに、私が200円でタバコを買っていると生徒に話したら驚かれました。どうも外国人だから高く買わされているとのことです。それでも日本の半額なので安いんですけどね。
すごい個人的な話をすると、20歳になったらタバコはやめようと思います。
父親は喫煙者ですが母親がタバコに関してとても厳しく、20歳になったらやめるという矛盾した条件でタバコの許可が下りました笑
残りの喫煙日数は1日です笑
最後の最後にどうでもいいことを書いたので、今回はここまでにします!
先生とは
Xin chào!
金曜日に生徒たちとやったサッカーの疲れが今頃出てきて、昔のようにはいかないことを実感しているぷにたまです!
ベトナム生活も残り5日となり、喜びと寂しさが入り混じっています。
教育学部生らしく今回は、「先生」について私が思っていることを書いていこうと思います。
※私の備忘録みたいなとこがあるので、興味がない方はページバックしてください。
いきなりですが、世の中には「先生」と呼ばれる職業がいくつあるかご存知ですか?
政治家・弁護士・医者・教師・芸術家・漫画家 etc...
では、なぜ人はこれらの職業に就いている方々を「先生」と呼ぶのでしょうか。
数年前に放送されていた堺雅人・ガッキー出演のドラマ「リーガルハイ」をご存知でしょうか?私は大好きです。
この「リーガルハイ」の中で(何話目かは忘れました)悪徳政治家の話があります。
その中で
「世の中には先生と呼ばれる職業はいくつかある、教師、医者、君たち弁護士そして政治家だ。なぜ人は我々を先生と呼ぶんだろう?人はね、何かをしてもらう相手に対して先生とへりくだるんだ、教師には教えてもらう。医者には治してもらう。弁護士には助けてもらう。では、政治家には何をしてもらう?稼がせてもらうのだ」
というセリフがあります。
これは的を得ているなと思います。(さすがリーガルハイ!さすが古沢良太!)
では、同じ先生と呼ばれ同じ業界の異なる職業で共通している部分と異なる部分は何でしょうか?
今回は塾講師と教師を例に考えていきたいと思います。
私もベトナムへ来る前までは塾でバイトをしていました。
なので、多少は塾のことについて分かっているつもりです。
共通している点
- 勉強を教える
- 生徒がいる
違う点
- 教員免許の有無
- 授業以外の業務(部活動やなど)
- 公務員か否か(公立校の場合)
私が思いつく限りこのぐらいでした。
まだ他にもあると思いますが...
共通している点でも
塾に来る生徒の大半が進学に向けた勉強や成績向上を目標にしているので、講師もそれに向けた授業
対して教師は、学習指導要領に則り授業を行う
といった細かな違いはあります。
同じ業界なので、勉強を教える(授業をする)という部分は同じでも、それ以外の部分で違いがありますね。
このように、同じ業界の中でも立場や授業内容が違うということを理解するということが大切かと思います。
塾講師と教師の違いを整理したところで、教師の「先生」について考えていきたいと思います。
教師が働く学校は、小さな社会だとよく言われます。
学校は子どもが大人になり社会に出ていく前に、練習をする場所だと思います。
なので、学校に行く理由はその小さな社会を学ぶことだと私は思います。
では、その小さな社会において教師の役割は何でしょうか?
私は、授業を通して生徒に将来の選択肢を増やしてあげることだと思います。
これはあくまでも私個人の考えです。
他に色々な考えがあるべきだと思います。
私は岡山県の大学に通っているので、日本にいる間は岡山県に住んでいます。
しかし、出身は島根県の山間にある人口約5000人の小さな町です。
ある理由(また別の記事で書きたいと思います)で岡山県にある全寮制の高校に入るまでは、この町が私のすべてでした。
小学生の頃は同級生の誰かと結婚して将来は米でも作るのかななんて思っていました笑
小中のほとんどの先生は島根県出身で県内の高校、大学卒という方々でした。
当時はまだスマホも普及しておらず、幼かった(中学生でしたが)こともあり目の前の世界以外の世界があるなんて考えもしませんでした。人気番組イッテQは初回から毎週欠かさずに観ていましたが、自分の中ではおとぎ話でした笑
中学を卒業し初めて親元を離れ、全国から生徒が集まる全寮制の高校に入ったことで、ようやく世界が広がりました。
当時は学習指導要領に「多様性」「グローバル化」なんてまだなかったので、しかたないかもしれませんが、高校に入るまでは選択肢なんてありませんでした。
レールをひたすら進んでいくだけです。
こうした経験が私にあるため、生徒たちにはたくさんの選択肢を増やしてあげれるような先生になりたいのです。
数年前から学習指導要領に「多様性」「グローバル化」という言葉が載りました。
生徒に多様化するように教えるなら、まず先生である教師が多様性・グローバル化しないことには始まりませんよね。
教師の多くは学校しか知りません。
小中高を卒業し、大学に入り、大学を卒業した後に先生として学校に入る。
誤解を恐れずに書けば、生徒に教える立場の教師はこの世で一番の世間知らずだと思います。学校以外を知らないので。
それは悪いことではないと思います。
しかし、それで生徒が「多様性」を持ったり、「グローバル化」することができるでしょうか?
生徒に教える立場の教師ほど、社会を、世界を知らないといけないと思います。
簡単なことではないということは重々承知していますが、私自身が率先して自分の考えを実行していきたいと思います。
ベトナムに来たのもそれが一因なので笑
長くなりましたが、今回はここで終わりたいと思います。
ホーチミンの観光地について
Xin chào!
バイクタクシーに乗ったとき料金が3万ドンのところ20万ドンしか持ち合わせがなく、お釣りもなかったようなのでそのままcảm ón(ありがとう)と言って立ち去ったぷにたまです!
残りのベトナム生活も6日間となりました!
今回はホーチミンの中でもオススメの観光地について書いていこうと思います。
中央郵便局
サイゴン大聖堂の真横にある駅のような建物です。19世紀末のフランス統治時代に建てられ、重要な建築文化財であり現役の郵便局です。よく見ると、デザインや飾りがとても細やかです。
中に入るとまず目に入るのが、アーチ型の天井と中央上に掲げられたホーチミンの肖像画です。余談ですが、ベトナムの方は人物のホーチミンを「ホーチミン様」、都市のホーチミンを「ホーチミンシティ」と呼びます。
フランス統治時代に建てられたので、どこかフランスを感じます。(行ったことないけど)
入ってすぐの左右の通路には絵葉書や切手などが販売されており、1階中央はお土産売り場になっています。
サイゴン大聖堂
サイゴン大聖堂は中央郵便局と同じ頃に建てられ、2つの白い突塔と赤レンガ造りが特徴の教会です。
正式名称は聖母マリア教会です。
日曜日にはミサが行われクリスチャンでいっぱいです。
現在は改修工事中で、完成は年末だということです。
ベンタイン市場
生鮮食品から服、雑貨やお土産など何でもそろうのがここベンタイン市場です。
北側は主に生鮮食品を含めた食品や食堂、南側が生活品や服など雑貨のお店が並んでいます。
入った瞬間からアジア特有の市場のにおいがします。(ベトナムしか知らんけど)
お客のほとんどが観光客のため、どの店も料金は相場の1.5~3倍ほどします。
また料金交渉も手強く、なかなかうまくいきません。料金交渉のコツは、だんだんと料金を上げていくことです。
可能ならお土産などは別のお店をオススメします。
注意していただきたいのが、通路が狭く人が多いためスリの危険があるということです。
壊れて処分に困っていた折り畳み傘をバックのサイドポケットに入れて、どうぞ盗んでくださいという格好で観光地を訪れる実験をやっていたのですが、ここで見事に盗られました。(ダナンや中央郵便局などでは無事でした)
基本ですが、尻ポケットに財布などを入れるのも危険な為やめましょう。
また、端のほうのお店は客引きなどが激しいので注意が必要です。
いかがだったでしょうか?
ホーチミンには他にも、ベトナム戦争が終結した場所「統一会堂」や「戦争証跡博物館」、郊外にはベトナム戦争においてアメリカ軍ですら難攻不落だった場所「クチトンネル」など、戦争にまつわる観光地などが数多くあります。
興味がある方はぜひ訪れてみては?
(日本史選択だったから世界史わからん)
外国人として暮らしてみて
Xin chào!
ベトナム生活も残り7日間となったぷにたまです。
今回は、ダナンとホーチミンで外国人として暮らした感想を「言葉・衣食住」について書いていこうと思います。
以前の記事でも少し触れましたが、私は去年の9月末から約半年間を中部の都市ダナン、南部の都市ホーチミンで生活してきました。
ここで、少しだけダナンとホーチミンについて書いておきます。
リゾート地ダナンの観光シーズンは4月~8月です。気温が高くなり、水温が上がる時期なので。
ちょうどオフシーズンからダナンでの生活が始まったので、(私が教えていた学校がダナン中心から少し離れていたこともありますが)外国人はあまり見かけることはありませんでした。ダナン大聖堂などの観光地はちらほらいましたが。
対して、現在暮らしているホーチミンの観光シーズンは9月~3月の気温が少し下がる時期です。(下がると言っても、最高気温は35°を超える毎日です♪)
なので、ちょうど観光シーズンの現在は街中は観光客で溢れかえっています。
言葉
公用語も以前の記事でも書いたとおり、ベトナム語です。文字はクオック・グーと呼ばれるベトナム独自の文字です。(冒頭のあいさつがそれです)
観光地や観光地に近い看板にはベトナム語と英語が書かれています。
ダナンにある観光地ハン市場
服装
服装は旅行先や時期によって変わります。
ダナンであればシーズン中は半そで短パンが好ましいでしょう。
シーズンオフの時期であれば何か羽織るものがあればいいと思います。
ダナンのシーズンオフは雨期ですので、もし訪れることがあれば傘は必須です。
ホーチミンは一年を通して20°後半ととても暑いです。
こちらも半そで短パンが好ましいと思います。
また、日差しが強いので女性の方は日焼け止めは必須だと思います。
ホーチミンには、セブンイレブンやファミリーマート、ミニストップなど日本でも馴染があるコンビニがあります。そこでは、日本製の日焼け止めなど売っていますが日本に比べると高いので日本から持参することをオススメします。また、サングラスも必須です。
食事
食事は北部と中部、南部で味が違います。
それぞれの味の特徴を簡単に説明していきます。
北部(ハノイなど)
ヌクマムと呼ばれるベトナム独特の魚油や塩などを多用した塩辛い味付けです。(私は日本への乗り換えでノイバイ国際空港に数時間滞在しただけなので、ベトナム人から聞いた意見です)
中部(ダナンやフエなど)
中部の料理は唐辛子などを多用した北部とは違う辛さの味付けです。また、フエにはかつてグエン朝が置かれていたため、宮廷料理の影響をうけて凝った料理が多いです。
南部(ホーチミンなど)
南部の料理は砂糖やハーブなどを多用した甘い味付けが特徴です。
タイで有名なナンプラーもホーチミンのは甘酸っぱくて私は大好きです。
ここで注意していただきたいのが、ベトナム人が辛くないと言ってもベトナムの辛さに慣れていない日本人にとっては辛いことがあります。なので、味付けに関してはあまりベトナムの方の話を鵜呑みにしないでください笑
辛いのが好きな私も、何度も辛い思いをしました笑
ベトナムでは、かつてフランスに植民地にされていたこともありカタツムリも食べます。私はあまり好きではありませんが...
他にもカエルや犬など、日本では馴染がない物も食べます。
カエルのから揚げ
家
ベトナムで暮らす際に必要可決なのが住む場所ですね。
以前の記事でも書いたように、ベトナムの物価は日本の3分の1です。
なので、アパートなどの家賃も3分の1かと思いきや、それなりの部屋に住もうと思うと日本と同じくらいします。
私がホーチミンで暮らしている部屋は、8畳ほどの広さでトイレとシャワーは共同です。それで家賃は2万円ほどです。(会社が契約している部屋なので、私は一銭も払っていませんが)
いかがだったでしょうか。
もし今後ベトナムを訪れる方や、赴任される方の参考になればと思います。
日本語教師について
Xin chào!
ベトナム生活も残すところ8日間になったぷにたまです。
今回は、私がベトナムに来た理由でもある日本語教師について書いていこうと思います。
私が働いている日本語学校は、生徒数30人、日本語教師3人(日本人は私だけ)、事務員2人、校長1人の小さな学校です。以前、ダナンでも教えていましたがその学校も同程度で、同じ会社の学校です。
生徒の年齢は幅広く、18歳~40歳まで在籍しています。
(ダナンの学校では、学校の中で私が最年少ということもありました笑)
ベトナムにはたくさんの日本語学校がありますが、その多くは実習生を日本へ送る会社が運営していることが多いです。私が働いている学校もそうです。留学目的で日本語学んでいる生徒もいますが、ごく少数です。
授業は、午前8:00~10:30 午後14:00~16:30(うち15分休憩)
お気づきかもしれませんが、午前と午後の授業の間のお昼休みがすごく長いのは、ベトナムには昼寝文化があるからです。このことは、また別の記事で書こうと思います。
これだけ見ると5時間しか働いてないの?と思うかもしれませんが、授業の準備などがあるので、1日10時間以上は働いています。
授業の準備とかにそんなに時間かかる!?と思われるかもしれませんが、かかります。(少なくとも私は)
私が授業で教えているのは、主に会話や発音です。
Q.会話や発音の練習で1コマ2時間半使うの?
A.使いません。時間は余ります。
なので、新しく自分で何をするのか考えないといけません。
アイデアが大切なのです。
毎日同じ話題を話しても、生徒は飽きるだけですしね。
以前、いつも通り授業をしていたら最前列に座っていた生徒がボソッと「つまらない」と 呟いたことがあり、それが聞こえてしまったので「やってやろうじゃないか!」という気持ちになりました笑
アイデアも大切ですが、今までこのクラスはどんな言葉や文法を勉強したのか、話をするスピードはどうするのか、など考えないといけないことは山ほどあります。(それなりに経験がある方ならともかく、私はまだ半年ほどなので...)
なので、私は授業の準備にとにかく時間がかかります。他にも、書類の日本語チェックなどの仕事はありますが数分で終わります。
日本語教師と聞くと「外国人に日本語を教える先生」と思われると思います。正しいです。
「日本人だから日本語を教えるの簡単だね」と思われるかもしれませんが(私も最初はそう思っていました)、日本人だから日本語を教えるのが難しいのです。
ここで質問です。
Q.あなたは日本語を理解していますか?
私は大学で教育学部に在籍しています。将来は日本で国語の先生になることを目指して。
ある授業の中で、教授がこう言いました「日本人は日本語が分からない」と。
私はこれを聞いた時、「んなわけあるか」と思いました。
教授は続けて、日本人が日本語が分からない理由は「日本語を学んでいないからだ」と言いました。
これを聞いて「ああ、確かに」と思ったことを覚えています。
私は日本語検定2級を持っています。なので、日本語を教えることに関してもそれなりに自信がありました。
しかし、実際にベトナムでベトナム人を相手に日本語を教えてみると簡単なことがわからなかったりします。
例えば、助詞を使って会話をするとき、なぜ「が」になるのか、なぜ「を」になるのかなど、普段意識せずにイメージや定型文のように日本語を使っていると説明をするときに困ります。また、自分の中で理由が分かっていても、生徒にうまく教えることができないということもあります。
生徒はベトナム人なので、言葉の壁は大きいです。(その言葉を教えているのですがね)
長くなったので今回はここまで!
写真も無く文章だけの記事になってしまいましたが、ここまで見ていただきありがとうございました!